日本におけるBallroomの価値
こんにちは、WasaViです。
今回はBallroomやVogueを既に知っている人向けの記事です。
「Ballって何?」「Vogueって何?」という方は
こちらの記事をまず読んでみてください!
今日は現代日本でのBallroomの「価値」について深ぼります。
Contents
はじめに
例えば、こんなことを考えた事はありませんか?
海外発祥のBallという形は、日本のLGBTQ+のシェルターとなれるのか。
「Ballroomは全ての差別から解き放たれた場所」でありながら
Ballroomのビューティーカテゴリーはルッキズムを助長しているのではないか?
1970年代の黒人ラテン人のゲイの間で生まれたコミュニティ、Ballroom。
彼達が生み出した文化は素晴らしいことは言うまでもありませんが、
果たして、2020年代の、遠く離れた日本で、Ballroomを開催して
Ballroomの本来の役割を果たせるのでしょうか。
今日はそんな議題について、今日の日本のBallroomシーンを作り上げているお二人と
対談して参りました。
※この記事はあくまでも私たち3名の意見であり、正解ではないため
皆様も自分なりの答えを導き出してください!
他人をいじめるような否定/発信はお控えください。
対談者プロフィール
・Koppi Mizrahi
10年前、日本に初めてBallroomを持ち込んだ張本人。
開催したBALLの数はなんと約30回。
近頃ではTRUNK HOTELにて日本最大級のBALLを成功させた。
主催BALL:Discovery Ballなど
・HIHA Babylon
現在もっとも勢いを見せるkiki ball主催者
新宿2丁目を巻き込んだBallは、200人以上の動員数を誇る
日本のBallroomとマイノリティを結びつけた。
主催BALL:tokyo kiki lounge
多様性を認めるBallって何?
実際に僕の初Ballの衣装ってマレフィセントでスカートにヒールだったんですよ。当時じゃそんな服とか考えられなかったですね。だし、その衣装を着ても誰にも馬鹿にされなかったし、凄く心地いいなと思いました。
(※)カミングアウト済だからと言って本人の同意なしに周囲の人へ「あの人はゲイ」と言うのはやめましょう。それはアウティングと言う悪質な行為です。
実際Ballを知る前と後で自分のファッションやパフォーマンスって凄く変わったなと思います。
ではBall主催者として大切にしていることはありますか?
(※)ストレート/シスヘテロ
けどここで思ったのですが、実際Ballって海外から生まれたもの。
日本のマイノリティのためになっているんでしょうか…?
Ballroomは日本のマイノリティの為になる?
私はBallで初めてマイノリティの人としっかりと関わりを持ちました。けど実際にマイノリティの人と関わる事がない人って沢山いると思います。そういう人にとってマイノリティ問題が身近で無くなるのは想像に容易い。
私が思うに、やっぱりストレートの人って特権を持っているんですよ。マイノリティ問題を解決する為にはマジョリティの力が必要不可欠です。だからこそ私達は自分たちの持つ特権や、日本で起きている差別などに目を向ける必要があるし、Ballはそのキッカケになれると感じています。だからBallroomに来る人は積極的に運動に参加したり、応援して欲しいなと思います。
いい面を言うと、「今まで自分にスポットライトが当たることなんて無かったから、Ballが凄く楽しかった」という声を聞いたんです。自分もそうだったのですが、先ほども述べたようにLGBTQ+の人達ってクラスで浮いてしまったり、自分に負い目を感じてる人も多いと思います。
例えばTensと言うその人一人だけにスポットライトが当たる瞬間で、ありのままの自分自身に自信を持てる瞬間を作れているとしたら、シーンに貢献しているのかなって。
ネガティブな面っていうのはどういうところ?
日本は同性婚もできないように、理解がない人が多い。BallがLGBTQ+の場所だと認知されればされるほど、クローゼットの人からしたらBALLに出ることがアウティングになる。
アウティングにならなかったとしても、疑いの目を向けられることは避けられない。
そこが難しいなと思います。
そして次に話し合いたかった議題がそれなんです。
BALLは広まるべき?
お二人はどう思いますか?
僕、どうしてもまだノンケの男性が怖いというか、ぎこちないんですよ。
だからマジョリティの人が増えすぎると、行き辛くなるなって感じます。
バランスが難しいですよね…
Ballroomの歴史やLGBTQ+の背景を学んで、全員でマイノリティコミュニティをサポートできる体制になったら素敵だよね。
黒人/ラテン人やLGBTQ+に還元するという事の第一歩にもなる。
僕もノンケの人が増えすぎたら、今の日本じゃ余計ゲイとして消費されてしまうし、Ballで生き辛くなる。今は理解のある人/しようとしている人に伝える事が大切だと思う。
そして、しっかりマイノリティコミュニティと繋げられたらいいね。
…だけど、それって現実的なんでしょうか?
東京外でのBall開催の難しさ
マイノリティコミュニティを大きく巻き込むのって凄く難しいなと思ったんです。
だけど、もちろん東京以外にもマイノリティの人はいるし、東京以外のBallも非常に大切じゃないですか。
どうやったら東京以外でBallの本質が広がると思いますか?
確かに東京以外って難しいですよね。
東京ほどマイノリティコミュニティは大きくないかもしれないけど、DQさんをゲストに呼ぶとか
少しでもいいから巻き込むことが大切なんじゃないかな。
そこでちゃんと歴史とかカルチャーを説明したりするとかどうかな。
プラス練習会みたいな。
来たいと思ってる人の中には、いきなりクラブに行くのは気が引けるって人も居るかもしれないしね。
そこから広がるかもしれないしね。
tokyo kiki loungeもDQさんの力がないとここまで大きくならなかったなって感じます。
今露出が多いゲイアイコン的な存在だと思うので。
そして社会情勢などの背景や、そこから発展して今の黒人ラテン人の現状じゃないですかね。
だってリアルな声って、当事者以外に分からへんのは当然のことやと思うもん。
それはゲイの僕だけじゃなくて女性の立場からも、ノンケ男性の立場からも平等に話し合いたいかも。
「私ゲイの友達欲しかったんだよね」とか言われた時少し傷ついてしまうんだけど、悪気ないのは分かるからこそ伝えられればなって。
人数がすくないってだけで、珍しい目で見られる事が多いかもしれないもんね。
見た目がストレートっぽくてもゲイかもしれないし、本当に分からないから。
ノンケ男性がBALLを歩くことについて
僕はそれについて何もネガティブな感情を抱いていないんですが、ふと
理解があれば、参加者が全員ノンケでもマイノリティカルチャーとしての性質を維持できるのかな?
って考えた事があって。
どう思いますか?
僕個人の意見としては、理解とリスペクトさえあれば問題ないと思います。実際に本場にもノンケはいるし。
だけども、その人が口先だけで実際なんの行動も起こしていないとしたらそれは問題ですけど。
そして形式上だけではなくてマイノリティ問題や人種問題についてもっと深ぼって考えて欲しいな。
例えばだけど、6月はプライドマンスって言っても「じゃあ貴方にとってのプライドって何?」って聞かれた時に明確に答えられるくらい考えて欲しいし
平等という言葉一つとっても、「それはなんの平等なのか」と言えるようになるべきだと思う。
特にBallやVogueの恩恵を受けてお金を稼いでいたりする人達は、ただの盗用にならないためにも、ちゃんと行動に移して欲しい。
自分もこの問題について考え始めたのはここ最近の話だし、皆で考えていきたいな。
僕的には大袈裟じゃなくていいので、例えばSNSで情報をシェアするだけでも一歩目になると感じています。引用リツイートじゃなくてもいいので!それ以外でも小さくていいから、一歩を踏み出すことが大切だなと思います。
あとVogueについていうと、ストリートダンス界隈でVogueってなんかイロモノというか「特別賞枠」な感じありません!?
Vogueの動きってキャッチーだし受けがいいというのもあるしね。
そこから脱却するためにも、しっかりカルチャーを伝えられたら素敵ですね。
さて、最後の議題に移りましょう!
Faceはルッキズムを助長しているのでは?
例えばFaceカテゴリーは、ルッキズムに当てはまるのでしょうか?
これは一つの意見だけど、Ballで優勝するには相応の準備と覚悟がいるって言われてるんだよね。
例えばFaceだと肌の綺麗さとか歯並びを見るんだけど、アメリカだと出る人は優勝する為に矯正やら何やら、皆お金をかけてくるイメージがある。
Faceだけじゃなくてカテゴリーに出るということは「ジャッジされる」覚悟がいるんだよね。
その欲望は尊重されるべきだと思うし、そもそもこの世界に絶対的な美の評価基準があることは否定できない。
その評価基準に自ら挑む事を否定する事は、ルッキズム運動の本質ではないと思います。
もちろん、誰彼構わず「アイツはアイツの上!」ってするのは悪質ですが、
Faceという思う存分自分の美で勝ち上がる場所は欲しいなと思います。
ただやっぱり美に優劣をつけるという側面も否定はできない。
Ballroomの伝統は守りたいけど、時代によって変えていかなければならない面もあるなと思います。
例えば、単に素材の美しさで決めるのではなくテーマに沿ったメイクを競うとか、変えていけばいいんじゃないかな。
どれだけ素材が良くても、パフォーマンスによってはChopになり得ます。
その点で衣装やAttituideも大事ですよね。
自分の顔をプレゼンする力もジャッジされているよね。
カテゴリーに出る以上「なりたい自分」は幾分かBallの基準に引っ張られる。
カテゴリーに出る人も、参加者をジャッジする人も、それを受け入れる覚悟が必要ですね。
そしてカテゴリー外ではそれを押し付ける行動は控えないとと思います。
ちなみに差別とChop/ジャッジとは何が違うと思いますか?
差別とChop, ジャッジの違い
そしてジャッジは自分の中の基準値をどちらが上回っているかで判断するもの。
差別はそうではなくて、好き/嫌いという私的で2極的なものだと思う。
そういうのはいいと思いますが、自分の好みじゃないからという
不当なChop / ジャッジというのは無しですよね。
逆にChopしてもその人の努力次第でTensが上がる可能性はあるから、どんどんチャレンジしていって欲しい。
努力の質の高さもかなり見られているなと感じます。
もしカテゴリーに出るならば、準備と覚悟を決めて出て欲しいです。
日本で開く場合は、日本の基準でジャッジしてもいいと思いますか?
もちろんアメリカで同じことをしたときにどういう評価になるか分からないけど
日本のBallで日本固有の価値観を否定しなくてもいいと思うよ。
リアルネスでノンケが「ゲイらしい」とチョップすることは差別ではないか
リアルネスとは本来、ゲイに優しくない社会でいかにゲイとバレないかを競うカテゴリーでした。
「ホモっぽいから落とします」とノンケの人がジャッジするのに違和感を感じますが、
いかがでしょうか?
しかもゲイからみる「ゲイらしさ」とノンケからみる「ゲイらしさ」も違いますもんね。
基準値が揃わないんじゃないかなとも思います。
ってなると「ノンケらしさ」も色々出始めてきてて、定められない。
「普通のノンケはこうでしょ!」みたいな。
School Boyとかエグゼクティブとか、テーマを決めて、
いかにそのテーマをプレゼンできているかもジャッジ基準にしたらいいんじゃないかな。
文化を薄めることとは違うのでしょうか?
カテゴリー内容を変える事は文化を薄める事とは違うのか?
アメリカのBallの形を日本でそのまま開催するのではなく
ちゃんと主催者が文化や歴史を理解して、日本にあった形に昇華する事が大切だと思う。
時代に合わせて、より幅広いジェンダーに対応できるBallになるように
変わってきていますよ。
ただ当然、Ballにいる人全員がジェンダーについて理解できていたわけではないから
主催者が主体的に参加者にジェンダーについて伝えながら実施する必要がある。
実際ヨーロッパでも長い月日をかけて徐々に認知されていったと聞くし。
それってつまりBallを主催する人って、幅広い社会問題に対して常にアップデートし続ける必要があるし
常に自分の答えを持ち続けないといけないなと強く感じました。
単に「アメリカ発祥のBallをやります!」ってだけ足りないんだなと感じました。
Ballを通した発信で、より社会が寛容な方向に進めばいいなと思います。
ありがとうございました!
最後に何か一言お願いします。
もっとBallを盛り上げていくためにも、色々な問題に対して考え続けながら、
頑張っていきたいと思います。
私は、Ballの伝統を崩さずに日本の人に参加してもらうためにはどうしようかとよく悩んでいました。
今後の展望としては、Ballって今は競争の場所になって居るけど、いつかそれ競争以外のコンテンツなどもしたいと思っています。
より幅広い人が楽しめるBallになるように頑張ります。
最後に
今回は現代日本でのBallroomの「在り方」について、
今をときめくBall主催者お二人と話し合いました。
ここまでの議論はあくまでも私たちの意見であり
私たちの考えもきっと時が進むにつれアップデートされるでしょう。
この記事を読んでくださった皆様も是非自分なりの答えを見つけていただけると嬉しいです。
その際は是非、僕のSNS
Twitter / Instagram @wasavi_zm
をタグつけして教えてください!
皆様の色々な考えと巡り会えることを楽しみにしています!
本日対談したお二人のSNSはこちら!
Ballの情報などアップデートされているので
是非チェックしてみてください!
Koppi Mizrahi
HIHA Babylon
それではまた次の記事でお会いしましょう!
WasaViでした!
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